「自由の国」に住む人々…

「自由」の国(⇔「必然」の国)とは、生きるために必然的に必要な「労働」(生活費を稼ぐようなもの?)から解放された状態にある社会のことらしい。
この中身について、これを文章で著した人はあまり述べていないらしいけれども、その人の思想を受け継いだ人たちはユートピア的に考えていたのだろう。

ユートピアでの生活は…住民はみな白くて美しい清潔な衣装を着け、財産を私有せず(貴金属、特に金は軽蔑され、後述する奴隷の足輪に使用されている)、必要なものがあるときには共同の倉庫のものを使う。人々は勤労の義務を有し、日頃は農業にいそしみ(労働時間は6時間)、空いた時間に芸術や科学研究を行うとしている。
(Wiki ユートピア, http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2)

「勤労の義務を有し」…、どこが理想郷なのかと思いたくなる(実際、文学において表現されている)。人間理解が誤っていた。ために、現実は外観が「ユートピア」だが内実は「ディストピア」として現れたのではないか。現代人が「自由の国」に住めばどんな生活を過ごすだろうか。



というちょっち現実を離れて夢想することが本来的には書きたいわけではなくて、大学生活とかモラトリアム期間とかいうほぼ「自由の国」に住んだ4年間があと少しで終わろうとする現在、自分にとって大学生活がどういうものであったか、そして今どう過ごすかといったこと、が何か自分の中でテーマとなっているのであります。

そう、今まさしく、人生の岐路があと一週間を切ったところにあるのであります。(了)