ジェンダー・男社会、反韓・愛国→歴史書を弄ぶ赤ん坊の油絵

飯食べ→部屋移動、5時くらいまで語らっておりました。
昔の研究会もこんな感じだったんだろうな、と夢想。
だが、しかし、自分はそこまで話す気力がない。
いや、語れるものがないのだろう。

話自体は、異論反論もあるもので、会話の共通基盤は某chの記事(韓国はなぜ反日か)、「もうちょっと自分で本嫁よ」といわれても仕方ないものではあったが、語らうことという点では、貴重な体験ができたように思う。とはいっても、翌日の朝は行動不能に陥り、行動能率が著しく落ちるのは必至だが。まぁ、カラオケで5時までよりは何かを生んでる気がする。


ジェンダーは何を問題提起するのか?
→男社会における女の権利?生き方・性の多様性?女の「男」化(オトコらしさの獲得)による男社会への参加という現象?

○愛国教育
→自分の「国」に自信を持つ?「彼の国は劣っている。その点、我が国は優れている」な他国と比較的優位での自信(消極的・排他的)ではなく、「〜できる」という積極的な意味での自信。
ただ、それを方針として掲げるかどうかは別の問題。自然なこと(暗黙の了解)だとしても、言葉として強調して掲げることで、言葉が一人歩きし安易な方向に行き過ぎる嫌いがあると思われ。


最近の自分の読書風景と、夢の中で見る、歴史書・聖書と戯れている赤ん坊の油絵が、同じように見えて仕方がない。